ゲスト紹介【は〜ほ】とんねるず土産
東国原 英夫さんが、フジテレビの番組「とんねるずみなさんのおかげでした」で紹介したお土産は「シェ・しらはま の マンゴーチーズケーキとお菓子の日高 の なんじゃこら大福」です。
東国原 英夫さんについて「とんねるずみなさんのおかげでした 食わず嫌い とんねるず土産研究会」流に調べてみました。では、どうぞ!
フジテレビとんねるずのみなさんのおかげでした
食わず嫌い
とんねるず土産 ゲスト紹介東国原 英夫
プロフィール
・東国原 英夫(ひがしこくばる ひでお)(1957年(昭和32年)9月16日 生まれ)日本の政治家、知事(宮崎県知事・第17代)。最終学歴は早稲田大学第二文学部(夜間学部)卒業。 早稲田大学政治経済学部政治学科中途退学。
元お笑いタレント、 ビートたけし率いる芸人集団たけし軍団の一員でビートたけしの最初の弟子。俳優、作家。タレント時代の芸名は「そのまんま東(そのまんま ひがし)」「東英夫(ひがし ひでお)」。
宮崎県知事 東国原 英夫
| 生年月日 | 1957年(昭和32年)9月16日 |
| 出身地 | 宮崎県都城市 |
| 出身校 | 専修大学経済学部経済学科卒業 早稲田大学政治経済学部政治学科中途退学 |
| 学位 | 学士 |
| 前職 | タレント |
| 在任期間 | 2007年(平成19年)1月23日 ‐ 現職 |
| 当選回数 | 1回 |
| 所属(推薦)党派 | 無所属 |
| ウェブサイト | そのまんま東オフィシャルサイト |
1957年(昭和32年) 9月16日、鹿児島県末吉町(現曽於市)にて出生。後に都城市に移転。姉がいる。
1967年(昭和42年) 両親が離婚。母方の姓となる(その後、母が再婚し現在の「東国原英夫」となる)。
1976年(昭和51年)3月、宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校全日制課程普通科卒業。
1980年(昭和55年)12月、フジテレビ のお昼のバラエティ番組『笑ってる場合ですよ!』の「お笑い君こそスターだ!」のコーナーで漫才コンビ「オスカル・メスカル」で出場し、チャンピオンになる。
1982年(昭和57年) 3月、ビートたけし(ツービート)の最初のボーヤ(付き人)となる。
1983年 (昭和58年)9月、『お笑いスター誕生!!』で「ツーツーレロレロ」として出場し、金賞を授賞。
1985年(昭和60年)フリーアナウンサー片平きみよ(現・片平夏貴)と結婚。
1986年(昭和61年)12月9日、フライデー襲撃事件。
1989年(平成元年)片平きみよと離婚。
1990年(平成2年)3月、女優のかとうかずこと再婚。
2000年(平成12年)4月、早稲田大学第二文学部入学。
2004年(平成16年)3月、早稲田大学第二文学部卒業。
2004年(平成16年)4月、社会人AO入試で早稲田大学政治経済学部政治学科入学。
2006年(平成18年)2月3日、かとうかずこと離婚。
2006年(平成18年)3月、早稲田大学政治経済学部政治学科中途退学
2006年(平成18年)12月13日、オフィス北野(所属事務所)との契約を解消(事実上の芸能界引退)。
2007年(平成19年)1月21日、第17回宮崎県知事選挙(無所属)当選。有効票数は266,807票。
タレント「そのまんま東」として
1980年、フジテレビの『笑ってる場合ですよ!』の「お笑い君こそスターだ!」というオーディションに、「オスカル・メスカル」という漫才コンビで出場した際に、同番組に出演していたビートたけしの楽屋を訪ねて弟子入りを願い出て、1982年3月に付き人となる。デビュー当初の芸名は「東英夫」であった。
その直後、コンビの相棒が芸能界入りする目的であった当時の人気アイドル歌手河合奈保子を生で見たことで満足し、芸能界を辞めるということでコンビは解散、やむなく京都産業大学の学生だった丸山昭範と3か月だけという約束で、コンビを結成。師匠たけしのコンビ名「ツービート」の「ツー」をもらって「ツーツーレロレロ」と名乗った。3か月後、芸能界を辞める丸山に、たけしに黙って失踪したという事にしてもらい、東国原は当時テレビ局でADをしていた大森うたえもん(当時の芸名は大森クンタ)とコンビを組んで「ツーツーレロレロ」を続ける。[1]人気漫才師ビートたけしの弟子と言うことで注目され、関東の有名大学をコキおろすネタを主にやっていた。1983年にたけし軍団の一員となり、「ツーツーレロレロ」のコンビを解消した。
「そのまんま東」の名前の由来は、たけし軍団メンバー全員の芸名を変えるという宴席で、名前を決める順番がたけし軍団の新しいほうから順番に決めていくことになっていた。そのため一番最後で、全員が泥酔してしまっていたために自分だけ新しい芸名が与えられなかった東国原が「師匠。私は名前はどうなるのでしょうか?」と聞くと、芸名を思いつかなかったビートたけしが「お前はそのまんま、“東”だよ」と言ったのを書記係だったラッシャー板前がメモしてしまい、これがそのまま芸名となったという。
1987年に書いた推理小説『ビートたけし殺人事件』がベストセラーになり、翌1988年にはTBSでドラマ化され、東国原自身もたけし軍団の面々と共に出演。後に結婚することになる、かとうかずこもヒロイン役で出演した。
政治の世界へ
かとうとの離婚後に「前々から政治家になりたいと思っていた」と言っていたことが明かされ、本人の発言やブログの記事からも政治への強い関心を見せるなど、タレント時代から政界への進出を考えていたという。謹慎中に入学した早稲田大学第二文学部では、卒業論文のテーマとして選挙活動を扱ったほか、卒業後も同学政治経済学部に再入学して政治学を学んでいる。
2006年には本人を代表とする「そのまんま会」を設立、同12月4日には故郷宮崎県の県選挙管理委員会に政治団体としての届け出を行った。地元での事務所開きで、支援者を前に自らの出馬にかける思いを語った際には過去の不祥事についても自ら切り出し語った。そして数日後には所属していたオフィス北野を退社。官製談合事件で当時の現職知事安藤忠恕が逮捕されたことに伴う宮崎県知事選挙へ無所属で立候補。当初は過去の問題行動や言動などのイメージもあって出馬を疑問視する声も多かった。
東国原は、選挙活動において、タレント候補にありがちなタレントの選挙応援を一切受けないことで、「脱タレント」を印象付ける選挙活動を展開した。遊説や立会演説では宮崎弁を使い、早稲田大学出身をアピールし、選挙活動最終日にはマラソンをしながら活動した。宮崎再建・宮崎自立のための具体策を打ち出したそのまんまマニフェストや無所属であることの「しがらみのなさ」を強調しての県政批判などは、政治に無関心な無党派層の関心を呼び起こしただけではなく、現状に不満を持つ政党支持層へも支持を拡大していくこととなった。
こうして、「しがらみのなさ」や「宮崎を変える」という期待感が県民に好印象を与えたことに加え、保守陣営の分裂という追い風も幸いして、県民の圧倒的な票を得て当選した。各マスコミによる出口調査では無党派層だけでなく各政党支持層からも一定の票を獲得したことが伺える。小学校の卒業文集に「夢は政治家とお笑い芸人」と書いていたが、図らずもその夢を2つとも叶えることとなった。
知事「東国原英夫」として
選挙活動は芸名の「そのまんま東」で行なったが、県知事に就任してからは本名の東国原英夫で活動している。
作業服で初登庁したり、「椅子をパイプ椅子に変える」「こんな立派な机もいらない」「退職金は出来高払い。議会がいらないと言えばいらない」などの言動が地元では好意的に受け止められている。知事専用の公用車について、当初は「廃止する」と述べていたが、燃費や他の手段を使った場合のコストなどの問題を考え、車種をトヨタ自動車の「トヨタ・センチュリー」から、ハイブリッドカーである「トヨタ・クラウンセダン」へ乗り換え、これにより年60万円の公費削減となった。似たような理由で知事公舎にも住んでいない(置き換えられたセンチュリーは競売にかけられ、255万円で譲渡された)。
報道番組やワイドショーに連日報道されたり多くの特集が組まれるようになったと共に、積極的にマスメディアに出演して宮崎県の宣伝を行っており、自らを「宮崎県のセールスマン」と呼んでいる。バラエティー番組への出演も多いことから、「テレビに出演しすぎだ」「知事になってもタレントのつもりでいる」などの批判も挙がっているが、本人は効果的な宮崎県の全国に対するPR活動として重点を置いている。
2007年1月23日の知事就任直前に清武町で、そして直後には日向市、新富町で鳥インフルエンザが発生した。1月29日には中央省庁を訪れ、国からの財政支援などを要請した。また、県内の民放局で流す、県産の鶏肉、鶏卵の安全性を訴えるCMに自ら出演したり、宮崎県の巨人軍キャンプとソフトバンクの練習場を訪れ、宮崎県産地鶏などを贈呈するなど、風評被害対策のため、鶏肉の安全性を盛んにアピールしている。これらの努力の甲斐もあり、宮崎の地鶏の消費量は、発生前より4割も増加した。ソフトバンクのキャンプでは監督の王貞治と会って、「王監督の手は神のようだ」と言っていた。
2003年に4億9,600万円の公費を費やして建設された知事公舎を批判し、選挙前から住んでいるマンションに知事に当選後も住んでいたが当選後は自宅マンションや近隣住民への悪戯が多く迷惑を掛けているとの理由で、勤務先の県庁に歩いて行ける近場のマンションをローンで購入し2007年3月29日から住んでいる。
知事選で争った、自民党推薦の持永哲志を副知事に迎えるという人事構想を抱くが、「脱・官僚」を期待して東国原に投票した県民の反発を招き、起用を断念した。だが、2007年2月15日の、自身として初の議会において、やはり官僚の河野俊嗣(総務省から宮崎県に出向中)の起用を正式に表明した。
2007年4月16日の定例記者会見において、「特に発表することがない場合は(会見を)カットしてもよいのではないか」、「毎日取材に答えているので、あらためて話す内容はない。それでもやる意義はあるのか」などとして、各社の記者と20分間にわたり問答を繰り返した。後に出演した『サンデープロジェクト』(テレビ朝日)2007年4月29日放送分でも「特に発表することがない場合でも、わざわざ12時まで会見時間を設けるのは効率が悪く、浮いた時間を公務に回すべき」(通常の定例記者会見が11:00〜12:00で行われるため)と発言したが、かつての長野県知事である田中康夫のように記者クラブを撤廃させようというものではなく、あくまでも県政の効率化のための提案であることを述べている。
2007年4月20日の宮崎日日新聞社の支持率調査によると、支持86.7%、不支持1.1%という高い支持率を示した。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
もっと詳しく⇒
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』東国原 英夫
東国原英夫さんの公式サイト。
⇒そのまんま東オフィシャルサイト
⇒元気じゃひか?東国原です(宮崎県サイト)
⇒そのまんま会オフィシャルサイト(後援会サイト)
東国原英夫さんの動画をYouTubeで検索してみました。
2007年3月14日、宮崎県の東国原英夫(そのまんま東)知事が、外国特派員協会(FCCJ)で講演を行いました。
冒頭から英語で「シュワルツェネッガーと比較するのではなく、レーガンと比べてほしい 」と特派員らの笑いを誘った東国原知事。
講演を日本語で話しだしてからは、中学時代に芸人になるため家出したエピソードも披露 しました。
東国原 英夫さんの最新ニュース。
⇒フレッシュアイ NewsWatch - 東国原 英夫
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